![]() |
||
![]() 出羽島港内をみる。 出羽島連絡船 大池丸発着場 出羽島漁港 |
![]() 向かう出羽島なつかしところ 船にゃ蝶々もついていく ![]() ![]() 現在、春先には2羽の燕がついていきます |
![]() 海の駅手前に 野口雨情碑が有ります注1 |
|
||||
![]() 大池丸デッキ甲板上に巣を作り4羽の雛を育てる燕 |
||||
出羽島小学校跡地には、現在ヘリポート発着場になっています。緊急時には日赤等3次医療にも使用出来ますが、関西空港からでも飛来でき観光施設として利用出来ればと思っていました。マルとHの植物(緑)の手入れに感心しました。シラタマモ自生地迄行く遊歩道途中には桜が満開に近く各常緑樹には木の名前のプラカードで名称が解ります。又、先(↓)の碑から新しい石碑に代わっています。2014年3月23日 出羽島小学校北側(廃校跡)避難道を昇ると碑があります。 劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘 ひとつ打つ ー与謝野晶子ー ![]() 2003年12月16日よみうりTV放送 俺たちの旅 中村雅俊 十朱幸代 神田うの等出演 石積み突堤・雨のグランド・体育館・教室 (出羽島) 造船場(船曳場)・赤燈台防波堤・小張岬下 (東漁協) |
||||
出羽島漁港航路 | ||||
○国指定の重要伝統的建造物保存地区に指定されました。2017年3月5日 ミセ造り(蔀張造り)のある集落;建築ではこれを構造体と呼ぶそうです。 上下に開く戸板が庇と縁台の役目をする住宅様式です。上下2枚の板をたためば、頑丈な雨戸になります。 ・ 石積み突堤 自然百景に推薦される! 出羽島住民が、移住して築堤してきた。現在第4種漁港指定(町管理)で、登記所の登記欄には無く、公図に石積みのみ表示されています。波浪により、時々潮位の間にある石(70〜80cm)が抜け落ちます。この大石は海辺付近にある波浪で丸くなった砂岩を人力で集め、石積みしています。 保守管理の仕事では、干潮時に拾い上げコンクリートを隙間に詰めて直しています。 四国電力の海底送電線から、立ち上がり(突堤)に電柱が設置されていますが、石積みを外した中身は、浜側の土砂混じりの小石で、電柱設置後の突堤天頂部分は、やはりコンクリートを隙間に詰めた石積みにしています。又、支線を張っています。 (注;電柱の基礎は円盤を入れ埋め戻しの土砂の荷重を利用して保ち、支線で転倒を分散しています。) |
||||
![]() 世界で4箇所の内 日本で1箇所しかない シラタマモ自生地。 大池 遊歩道から10分程 シラタマモは、1億4千万年前に繁殖した植物で、シシャジクモ科の海藻、生物が海から陸へ移行し進化する途上の形質として、きわめて貴重な学術資源と言われている。 昭和48年国指定 天然記念物。 |
![]() 海潮音の子守歌 ![]() 出羽島番屋が奥に見えます。後ろは防潮堤です。一晩中さざ波の音が聞こえてきます。 * 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念 |
![]() ![]() ハイピスカス咲いています。 公 共 W C |
||
![]() タニワタリ |
出羽島に優れたものが2つある。 自生植物タニワタリ 今は無く、 鉢植えでみられる。 左側 ハマユウより上。 |
2002年6月、今年は、雛が1羽です。![]() 連絡船お池丸デッキの上 |
阿波の牟岐町南に向いて、春を待たずに豆が咲く | |||||||||||||||
小張岬より![]() |
|||||||||||||||
|
|||||||||||||||
出羽島防潮堤上で![]() 「トコロ天の作り方」のレシピは、「海のグルメ」に記述しています。 |
|||||||||||||||
・ 防潮堤 出羽島住民が、移住して築堤してきた防潮堤は石積み(30〜50cm)を年代を重ね、診療所裏側は、三層に積まれていました。建設省(現在は国土交通省)海岸になってから、海側にコンクリートのパラペット(波返し)を設置し、裏側は石積み専門職員で補修し、隙間をコンクリートで詰めています。 |
|||||||||||||||
![]() ![]() デッキ甲板上に巣を作り6羽の雛を育てるつばめ 牟岐港と出羽島間3.7km往復6航海、海上にも餌となる虫がいて飛来して15分間連絡船の後を追います |
|||||||||||||||
銀の龍の背に乗って唄 中島 みゆき あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている 急げ悲しみ 翼に変われ 急げ傷跡 羅針盤になれ まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている 夢が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけだった昨日 明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」 銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ 銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を 失うものさえ失ってなお 人はまだ誰かの指にすがる 柔らかな皮膚しかない理由は 人が人の傷みを聴くためだ 急げ悲しみ 翼に変われ 急げ傷跡 羅針盤になれ まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている わたボコリみたいな翼でも 木の芽みたいな頼りない爪でも 明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」 銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ 銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を 銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を 銀の龍の背に乗って 銀の龍の背に乗って Dr・コトー診療所撮影所は、よなくにじまでした。 |
|||||||||||||||
中国 ![]() |
|||||||||||||||
柴咲コウ1981・8・5生まれ東京出身![]() |
|||||||||||||||
牟岐漁港連絡船「お池丸」発着場に建つ雨情の歌詞の石碑です。駐車場になっています。、連絡船「お池丸」は乗船定員と発着時間が決まっていて時間待ちに牟岐港周辺でも開催されています。 ![]() |
|||||||||||||||
07年7月15日 5年ぶりに連絡船「お池丸」に、燕の雛4羽化しましたが、途中で2羽落下、残った雛2羽も7月14日来襲の台風4号にて巣から落下生き残れませんでした。 連絡船「お池丸」は出羽島漁港で避難停泊 ![]() |